本物のスピリチュアルと、スピリチュアルのようなもの(=スピ系)の違いは他の記事で述べさせていただきました。ご理解いただける方にはご理解いただけると思いますが、多くの一般の方にとってはその違いはわかりにくいことでしょう。

 一般の方は目には見えなくて何となく不思議な感じがするもの、そういったことに興味を持ったり関わったりしている人達を大雑把に「スピ系」と呼んでいます。しかし、スピ系という言葉を使う時に、そこにリスペクトの要素は無く、どちらかというと軽蔑や侮辱の気持ちがこめられています。

 なぜ軽蔑されるのでしょうか?スピ系に関わっている方たちは胸に手を当てて見つめ直す必要があると思います。支離滅裂な論理、独りよがりな思想、浮世離れした考え方、エゴ丸出しの姿、セッションやクライアントに対する無責任な態度、やたらと現生利益を追求する姿勢etc、これらは時々私が耳にする一般の方々のスピ系に対する批判の一部です。

 私たち人間が発展途上の未熟な存在である以上、こういったものは誰もが持っている資質ではあります。しかしながら世間の人たちは、スピリチュアルのようなものに携わっていて、人様からの相談に乗ったり癒しを提供するような人物に対しては、一般の方よりも高尚な人格であって欲しいと無意識的に望んでいます。望んでいた人格が幻想に過ぎなかった事を知った時、人はそれに失望し、その反動でそれ以降は軽蔑の対象にしてしまいます。

 私の記憶によると、スピリチュアルという言葉が一般に受け入れられるようになってきた時期は西暦2000年前後だったと思います。スピリチュアルカウンセラーという造語を引っ提げてテレビなどのメディアに霊媒師が華々しく登場してきた時期と重なります。スピリチュアルという言葉をメジャーにしたのはこの霊媒師の功績とも言えますが、同時にその霊媒師の活躍する姿が「スピリチャルは儲かる」という誤解を世間に生み出し、さらには何でもかんでもスピリチュアルと関連付けるような事態を生み出してしまいました。

 現在スピ系と揶揄されているものはかつては精神世界と呼ばれていたものと合致します。精神世界という言葉は1970年台から使われ始めたとされています。本当のスピリチュアルは、霊媒現象に関わるものであってさらに宗教性を帯びているものですが、当時は、霊媒現象も、三代宗教も、世界の土着宗教に関するものなども大きく精神世界として括られていました。その後スピリチュアルという定義が曖昧な言葉が一般的になったことで、精神世界はスピリチュアルのようなもの(=スピ系)という言葉に置き換えられていったのです。

 現在スピ系と一括りにされているものの元祖は、精神世界と言えます。精神世界は日本人が命名したものであるので、さらにその原点があります。その一つはニューエイジと呼ばれているものです。ニューエイジについては1960年代頃から現在に至るまで、様々な研究や分析がなされていますが、問題点の方が多く指摘されてるジャンルです。最近はニューエイジという言葉を聞く機会が減ってはいますが、スピ系の中には、発祥はニューエイジというものが結構な割合で紛れ込んでいます。

 そして世間から蔑まれるようなスピ系はほとんどがニューエイジ発祥だと言っても過言ではありません。ニューエイジが本当のスピリチュアルに対する社会の誤解や偏見を生み出し、スピリチュアルに心の拠り所や人生の指針を求めている善良な方々を失望させているのです。

 さて、スピリチュアルに興味を持ったあなた、そのスピリチュアルは本物ですか?ニューエイジ発祥ではありませんか?賢い消費者になるためには確かな知識と眼力が必要です。ニューエイジについてはまた稿をあらためて述べていきたいと思います。

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